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親戚の男の子が危篤だって、急な知らせが来たのが7月のホント月末。
原因はわからないけど、脳が腫れて意識がなく、生死の境を行き来してるとのこと。
3日に滋賀までお見舞いに行ったときは、山場を乗り越えて、小康状態を保ちながら、自発呼吸をしてる様子も伺え始め、週明けにMRIを撮って、治療方法を検討するって言ってた。
親の顔にも少し笑顔が出てきて、少しの可能性に望みを託していたのに、危篤の連絡を受けて一週間後に彼は亡くなりました。
脳梗塞だったらしく、最後にMRIを撮ったときには、脳の殆どは壊疽していたらしいです。
小さいときは体の小さな子で、両親からの「頑張れ、頑張れ」の声に応えて、何においても一生懸命に頑張っていた子なのに、人生と言うものは、なんともむごいものです。
人は、自分の生れ落ちる場所と寿命を決めて、生まれてくると聞きました。
18年と言う短い寿命を決めた理由は何だったんだろう?
親戚の兄や姉の間に生れ落ちようと決めた理由は何だっただろう?
何のために生きているのか?
ちょいちょいこの疑問が議題にあがることがあるけど、そんなことが明確にわかる人ってそんなにいないんじゃないかなぁなんて思う。
18歳になったばかりで寿命を終えた彼に、「何のために生きてるのか?」なんてわかってたのかな?
誰かが亡くなるってことは、亡くなる人と残された者との2極の現実に分かれる。
亡くなった方の思いはわかる訳もないんだけど、人が亡くなるってことは、残された者がその死をどう受け止めて、どう受け入れていくのかっていう大きな課題もあるんだなぁって思った。
お葬式で涙が止まらなかったのは、彼が人生を終えたという事実もそうだけど、彼がどう生きてきたかって言うことを思い出して辛かった。
人間の命は必ず終わる。
命が大事なんじゃなくって、どう生きてきたかって言うのが、大事なんだなって思った。
彼に会うのは、長期休みとかに帰省してきてくれる年に何度か。
普段の私の生活に彼の存在は殆ど無いから、お葬式が終われば、普段の毎日が戻ってくる。
お腹も減れば、眠くもなるんだけど、彼が亡くなった事実は存在してる。
灰になった彼を見た時、目に見えるもの形あるものってどんなに大きなことなのか、でも、どれだけその目に見えるものに惑わされてるのかってことを感じたな。
人間って複雑なような単純なような。
彼の冥福を祈ると共に彼がこの世に残した何かを自分なりに考えていけたらなぁなんて思います。
【2008/08/11 14:09】 出来事 |
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